おもしろ歯学


岡崎好秀

岡山大学歯学部 小児歯科




モンゴルの草原  患者さんの治療をしていると気づくことがある。
 年配でも,いつまでもきれいな歯をしている方。
 若いのにむし歯や歯周病で悩んでおられる方。
 この差は,いったい何だろう?
 歯磨きなのか?食生活なのか?
 こんな疑問を持って,伝統的な食べ物を食べている人々の,口の中を覗きに海外へ飛び立つ歯科医は多い。
 ▼モンゴルの子供達
モンゴルの子供達
 モンゴル高原。それはどこまでも果てしなく続く草の大海原。360度,遥かかなたま で,緑の絨毯が敷きつめられている。モンゴル帝国を築いた,蒼き狼 チンギス・ハーンは, ユーラシア大陸を横切り遥かフランスまで勢力を伸ばしていた。世界地図の半分以上を塗り 替えたと言う。
 モンゴルの国土は,日本の約4倍。人口は220万人。海抜1500メートルに広がる 大地。国土の80%が草原だ。人口の30%が,遊牧生活を送っている。
 ゲルに住み,ウマ,ウシ,ヒツジ,ヤギ,ラクダ達と緑の草原を求めさまよい歩く。遊牧 民は,日に焼けた精悍な顔をしている。子ども達の顔は,かっての懐かしい日本人の顔だ。馬 の蹄の音を響かせながら,一日中大地を駆け巡っている。
羊を解体する
▲羊を解体する
 ゲルでもてなしを受けた。なみなみと馬乳酒を注がれる。ヨーグルトの様なすっぱい 味がする。ほろ酔いかげんになる。
 これからご馳走を作ってくれると言う。羊を押え込んで,ナイフで腹を裂き,手で大 動脈を締めて殺す。器用な手付きで皮を剥いでゆく。
 大地に一滴の血も落とさない。大地が汚れるからだという。臓物を取り出す。腸の中 身を出し、血液を入れてソーセージにする。これらを塩ゆでにするのが最高のごちそうだ。
 そう言えば,「栄養」の「養」の字,それは「羊を食らう」と書く。この字も,起源 はモンゴルにあるのだろうか?
 野菜は、口にしない。家畜が食べるものなのだ。血液に含まれるビタミンやミネラル で、栄養的には充足される。
 羊の頭の先から尻尾の先まで、くまなく食べる。なるほど、一つの生命体を丸ごと食 べるから。必要な栄養がすべて含まれる。



 遊牧民の口を見てみよう!
 誰もがきれいな歯をしている。歯を磨いたことのない人々がほとんどだ。どうしてだろう?
 ゆであがった骨付き肉を、前歯で肉を引きちぎって食べている。なるほど前歯は食べ物を 切る包丁の代わりなのだ。
 そうか!ヒトに前歯と奥歯があるのは、まず前歯で食べ物を咬み切って,奥歯で噛みなさ いと言う意味だ。
 遊牧民は、歯や口の機能を最大限に使って食べている。これがきれいな歯の秘密だな。現 在の日本に満ちあふれている加工食品は、口汚す元凶だ。

 そんなモンゴルは、1992年ソビエト連邦の崩壊とともに、自由主義経済が訪れた。 貧富の差が広がりつつあるという。
 自由になったぶん、甘いお菓子が入ってくる。むし歯予防に対する知識のないままに…。
 首都のウランバ−トルに住む6歳児。口の中はむし歯だらけだ。すでに永久歯も大きな 穴が開いていた。
 歯に詰める材料は先進国から入ってくるので高級品だ。モンゴルの物価は日本の100 分の1。日本で1ドルの歯ブラシが,モンゴルでは100ドルになる計算だ。歯1本の治 療費が、3ヶ月分の給料に相当する。お金がないので,痛い歯は抜くしかない。それが、 今の歯科治療の実状だ。
 歯は歯車と同じ。 1本抜けたら加速度的にダメになる。乳歯のむし歯くらい…と、思 われるかもしれないが。長い間臨床の現場にいると未来が見えてしまう。
 乳歯のむし歯は、そのまま永久歯に引き継がれる。この調子だと,この子は30歳前に、 歯なしになってしまうだろう。きっとこの子は、二度と遊牧生活に戻れないだろう。
 食生活の変化は,大きくヒトの口を変えるのだ。
お菓子を食べる少女
▲お菓子を食べる少女。この子の歯はいったいどうなるのだろう?