おもしろ歯学


岡崎好秀

岡山大学歯学部 小児歯科




 “養生訓が,いま静かなブームになっている。
この本は三百年前に江戸時代の儒学者 貝原益軒によって書かれたものである。
養生訓といえば "接してもらさず"や"食い合わせ"があまりにも有名だ。
養生とは,病後安静にしていることを思い浮かべがちである。
しかしこの本,積極的に体を動かし,気をめぐらすことを説いており,単なる健康術の本ではない。
益軒は,生来虚弱で病気に苦しんでいたが,健康法を実践したため85歳の長寿を得たのである。

▲貝原益軒
江戸時代の医学者 元来虚弱であったが,
健康法を実践したため長寿を得た。
養生訓を表した八十四歳でも,
一本の歯も失っていないと述べている。

 ところで益軒の時代と現在は,共通点が多いことを御存知だろうか?
養生訓が出版されたのは,庶民生活が安定した江戸時代中期。
それまでは,飢えや戦争のため明日をも知れぬ命であった。
天下泰平の時代になり,やっと庶民も老後のことを考える余裕が出てきた。
さて現在,生活が豊かになると共に,次々に病気も克服されてきた。
そのおかげで日本人の平均寿命は約八十歳,わずか五十年の間に三十年も延びた計算になる。
誰もが寿命が延びたぶん,健康で楽しい生活を送ることが出来ると思っていた。
しかし,糖尿病・高血圧などの生活習慣病が急増し,これらの病気がきっかけとなり,
老後を寝たきりで過ごさなければならない方が急増している。
益軒は,長い人生を健康で楽しむための術を説いていた。
これが養生訓がブ−ムとなっている背景なのだ。

養生訓
養生とは,病後安静にしている
ことを思い浮かべがちであるが,
この本では,積極的に体を動かし,
気をめぐらすことを説いている。
	




 さてこの中には,歯や口にまつわる健康法についても述べられており,現代風に解釈を入れ紹介する。
"古人曰く「禍(わざわい)は口より出て,病は口より入る」"
病は口から入る食物により起こるので,その入口には留意しなければならない。
"歯の病は胃火(いか)ののぼるなり。"
歯の病は,胃腸の病と関係が深い,歯が悪いと消化不良を引き起こすと考えられる。
"一日に歯を35回,カチカチ鳴らすと,歯の病気にならない。"
歯を鳴らすことは,禅宗の健康法であり,歯や歯グキを鍛え,むし歯や歯周病を防ぐのだ。
"つま楊枝で歯の根を深く刺してはいけない。歯の根が浮いて動きやすくなる。"
爪楊枝は,当時の歯ブラシである。しかし歯グキに深く入れて傷つけると,腫れて痛むこともある。
"朝,ぬるま湯で口をすすいで,昨日から歯にたまっているものを吐き出し,
干した塩で上下の歯と歯グキを磨き,温湯で二十・三十回口をすすぐ。
さらに口に含んだ湯を粗い布でこし,お碗に入れる。
この塩湯で目を洗うと眼病の予防になる。"
ここでは興味あることに,口をゆすいだ湯を目薬の代わりとしている。
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爪楊枝:江戸時代は爪楊枝で歯を磨いていた。

	


 唾液には,さまざまな抗菌物質が含まれており,薬のなかった時代の知恵と言える。
"唾液は,身体の潤(うるおい)いであり,変化して血となる。唾液は,吐くな飲み込むべし。"
古くから,年老いても唾液が多いと健康であると言われる。
唾液には,老化予防のホルモンが含まれている。
また唾液の量が多いことは,消化液の分泌も多く体が若いことを意味している。
だから飲み込むことを勧めているのだ。
"食後には,お茶で口をゆすぐと良い。
"お茶に含まれる抗菌物質のカテキンが,細菌の増殖を抑え口臭予防にもつながる。
益軒が養生訓を著したのは,八十四歳でありながら,一本の歯も失っていない。
現在の八十歳で二十本歯を残すという,八○二○運動を軽く達成しているのだ。
どうやら益軒に学ぶべき術は,まだまだありそうだ。