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岡崎好秀
岡山大学・医学部・歯学部附属病院 小児歯科
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寒い季節になると思い出すことがある。 阪神淡路大震災の時のことだ。 早くも,13年の月日が流れようとしている。 これを読まれている方の中にも,被災された方も多数おられるかと思う。 忌まわしい思い出なので,触れたくないことがあるかもしれない。 しかし,決して風化させてはならない事実もあるように思う。 私も大学からの派遣で避難所を訪れた経験を持つ。 |
阪神淡路大震災を思い出す。 |
そこで垣間見た,出来事を紹介する。 ある避難所での話。 ごみ箱には,弁当のハンバーグが捨てられているのが目についた。 お年寄りの方が,食べないで捨てていかれるそうである。 どうして食べないのだろうか? 濃い味付けには,慣れていないからか?食べ慣れていないからなのか? 実は,その理由。噛むことができなかったのだ。 ハンバーグは,現代日本の軟食文化の代表だと思っていた。 多くの歯を失っても,これなら噛めるだろうと思っていた。 ところが・・・・である。 ハンバーグの脂は,寒いと固まり,歯の弱い方は食べることができなかったのだ。 おにぎりが凍り,焼きおにぎりにして食べたという話もある。 |
そう言えば,倒壊した自宅へ最初に戻ったとき,まず義歯を捜された方が多いと聞く。 最初に捜すものは,お金や銀行通帳等の貴重品ではないのだろうか? 考えてみれば,私はメガネをかけている。 メガネがなければ,生活に支障をきたす。 お金や通帳を捜すためには,まず眼鏡をかける必要があるのだ。 震災は早朝に起きたため,義歯を外して寝ておられた方は,そのままの状態で避難された。 まず義歯を捜された理由。義歯がなければ食べることができないのだ。 まさにそれは,生きるための道具であったのだ。 |
▲早朝に起こったため
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▲小学生が
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暗い話が続くと気が滅入る。 一つだけ明るい話をする。 ある避難所で診療中の話。 子どもの声で「これから○○の教室で紙芝居をしますから,みなさん来て下さい。」という校内放送が入った。 時間に教室へ赴いた。 驚いたことに,紙芝居をしていたのは小学生だった。 小学生が自主的に,幼児達を集めて行っていたのだ。 これには感激した。 当時,テレビはないし,外は寒くて遊べるような状況ではなかった。 あなたが小学生だったら,こんなことを思いつくだろうか? とかく最近の子ども達は,“我慢ができない”・“自己中心的”など・・・・良いように言われることがない。 でも,この状況で“自分達のするべき仕事”を自主的に見つけ実践していたのである。 “日本の子ども達も,まだまだ捨てたものではないな”と目頭が熱くなった。 |
さて,数ヶ月後の岡山でのこと。 被災で家屋を失い,転居されてきたある母親が,三歳の子どもを連れてこられた。 診れば口の中はむし歯だらけ。 ところが,数ヶ月前に歯科健診を受けたときは,一本のむし歯もなかったそうだ。 どうして短期間にこれだけのむし歯ができたのか? その理由は,避難所での食生活にあった。 避難所では,子どもが泣くと心にもないことを言葉が飛んでくる。 しかたなく,泣かさないように,お菓子ばかり与えていたのである。 救援物資のあり方も考える必要がありそうだ。 |
歯がひどいむし歯になっていた (写真は治療後) |
さて,その母親から興味深い話をうかがった。 震災の数日後に避難先での話。 救援物資の食料として乾パンが届いた。 以下,その保護者の言。 「乾パンを食べていたら,前にお年寄りが座っていました。 パンを食べられないので,“まだどんな事態になるかもしれないから,無理をしても食べておかれた方がいいですよ”。と言いました。 ところが返ってきたのは“歯が弱いので食べることができない”との言葉でした。 後で考えたら,そういった方から先にダメになりました。」 野生の動物は,歯を失うと命にかかわると言われる。 しかし,それは人間だけは別だと思っていた。 しかし究極の状態では,人間も野生動物に過ぎないことがわかる。 |
▲避難所での歯科診療風景
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