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岡崎好秀
岡山大学歯学部 小児歯科
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▲徳川家康の肖像画 四
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現代の若者には,顎が細く面長な顔が増加していると言われている。 噛まなくてもよい,軟らかい食物の増加による影響と考えられている。 どうして食生活が変わると,顔の形も変わるのだろうか? この理由について,徳川将軍の例はあまりにも有名だ。 初代将軍の家康は,肖像画にも描かれているように,エラの張った四角い顔である。 ところが将軍家の食物が軟らかくなるにつれ,代々の将軍の顔が変化している。 このことは,12代将軍の家慶・14代将軍の家茂の頭蓋骨が,面長で華奢になって いることからわかる。 なかでも家茂は,甘いものが大好物で,ほとんどの歯がむし歯となっていた。 徳川将軍もむし歯の痛みに悩まされたことであろう。 |
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▲12代徳川家慶の頭蓋骨/面長で
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それでは当時,宮中ではどうだったのだろう? やはり軟らかな食事をしていたのだろうか? この点についてのヒント。それは雛人形に隠されているのではないかと思う。 雛祭りは,平安時代に“ひいな祭り”として宮中で誕生した。 そして江戸時代,庶民の間で流行した。 寛永・元禄・享保の各時代である。 ところで元禄時代の雛人形は,比較的丸い顔をしている。 ところが享保時代の雛人形は,面長な顔となっている。 この顔の違いは,何に由来するのだろう? 元禄時代と享保時代の間は,わずか10年あまりしか経ていない。 単に,その時代の流行の差だけなのか? |
元禄時代は,江戸時代において町民文化が栄えた時代として有名だ。 井原西鶴や松尾芭蕉を始め,歌舞伎や絵画のみならず,食生活も 大きく変化した時代なのだ。 それまで一日二回食であったものが,三回食になったのが,この時代。 また庶民の口に砂糖が入り始めたのも,この時代。 さらに玄米から精製米を食べ始めたのも,この時代。 箱根の峠を越えると“江戸患い”,上方では“上方腫れ”と言われる奇病が流行した。 今で言う,ビタミンBの不足による脚気である。 |
![]() <享保雛> |
![]() <元禄雛> |
元禄雛は丸顔に対し享保雛は面長である。
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さて雛人形は。きっと宮中の人々をモデルにしたに違いない。 だとすれば元禄時代の食生活の変化が,享保雛の顔に影響を与えたのかもしれない。 そのような目で雛人形を眺めると楽しみが増える。 |
それでは噛むことと顔の形はどう関係するのだろう? まず顎のがっちりした顔は,噛む筋肉の力が太くて強い。 健康な歯でよく噛むことで,噛む筋肉(咬筋)が発達する。 筋肉が強くなれば,それに応じて骨も厚くなる。 だから四角いエラ張り顔になる。 一方むし歯が多い場合,あるいは健康な歯であっても噛むことが少なければ, 筋肉が発達する必要がない。だから顎の骨も薄く華奢になる。 これが現在の若者の特徴的な顔なのだ。 このままの状態が続くと人間は,どんな顔になるだろう? 脳が発達し,顎が小さい。しかも運動不足で手足の骨も細く長くなってくる。 これは空想で描かれた火星人の姿に似てないか? 火星人は,火星に住んでいたのではなく,誰かがタイムマシーンに乗って, 人間の近未来を見てきたのかもしれない。 |
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▲よく噛むことでかむ筋肉が発達
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