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これまでの歩み

モンゴルとの国際歯科医療交流

日本モンゴル文化経済交流協会 公衆衛生医療班

黒田耕平(神戸医療生協 協同歯科)


日本モンゴル文化経済交流協会とは;

世界で2番目に古い社会主義の歴史を持つモンゴルは、’90年夏に初の複数政党による自由選挙を実施し市場経済へと移行してきました。1991年4月に設立された日本モンゴル文化経済交流協会(会長佐藤紀子氏)は、様々な分野(環境問題、音楽、絵画、教育、繊維関係、マスコミ関係、行政問題、医療等)で、日本とモンゴルの市民レベルでの相互理解と友好の「草の根」交流活動を行っています。その中で歯科医療交流は、1991年夏初めての直行便による両国市民交流の際に日本側から歯科関係者14名が参加し、首都ウランバートルで歯科検診と予防指導を行ったことに始まります。当時モンゴルではすでに、都市生活の若年者にう蝕が急増し始めていました。かつて日本では高度経済成長の代償として数多くの公害と健康破壊を招いてしまいましたが、押し寄せる現代文明の波の中でモンゴルには日本の轍を踏まないでほしいという思いを込めて公衆衛生医療班の活動が始まりました。以降夏と冬の年2回現地を訪れての歯科医療交流を中心に、モンゴル人の来日研修受け入れ等継続した活動を行い14年目を迎えています。

日本側の交流目的として、「モンゴル人自身の手でモンゴル国民の健康を守る」ために、歯科医療と公衆衛生の向上を目指す協力をすることとしました。


これまでの経過;

当初モンゴルでは、社会主義からの体制変換の混乱期にあり、もともと自国生産の全くといってなかった歯科機材の老朽化と不足はもちろん、海外からの専門情報の入手も困難な状況でした。2年目からモンゴル厚生省と医科大学歯学科との協力で、歯科疾患実態調査と保健予防活動、歯科機材の提供、セミナーの開催等による情報の提供、公衆衛生施策の提言等を行いました。

しかし、わずか4年間ほどの間に受け入れ担当者(歯学科部長)が5回も代わり、その度毎に機材も含めた一切の引継ぎが行われず、交流の積み重ねと継続に支障をきたしてきました。そこで、モンゴル医科大学歯学科とは岡山大学歯学部との大学間交流協定を締結し留学生の受け入れや講師派遣等の交流を行うこととし、民間レベルでの交流活動は別の形で進めることとしました。1994年3月には、モンゴル医科大学元講師とともに首都ウランバートルに歯科診療所「エネレル」を開設し、予防を中心とした先駆的医療施設としての交流拠点としました。2002年5月には、歯科診療所としてはモンゴルで初めて自前の建物を新築し、地下1階地上2階(小児と成人2つの診療室、60名収容のセミナー室、技工室、滅菌消毒室、レントゲン室、ハブラシ製造室等)、診療台18台、総職員数28名で、1日約100名の患者が来院しています。建設は苦労の連続で、資金集め、―50度にもなる冬季を考慮した設計と暖房設備、変動する電圧と浄化不足の水道対策、殆ど全て中国・欧州からの輸入にたよる建築資材の確保、7グループもの建設グループとの契約、国・市との認可・許可申請、日本から持ち込む歯科機材の手続き等々、日本では想像できない問題が次々と発生しました。しかし、歯科診療所としてはモンゴルではじめての自前の建物を完成させたことは、建設に関った職員には大きな自信と一体感を、そしてモンゴル歯科医療と公衆衛生の向上と国民の健康を守る責任を自覚させてくれました。

これまでの交流活動を振り返ると、3つの転換期があったように思います。最初は、首都と郡部での歯科疾患実態調査と保健予防活動を日本人が企画・実践して見せた時期。次に、エネレルスタッフを中心にモンゴル人医療関係者が日本人とともに企画・実践に関った時期。そして今では、モンゴル人自らが様々な歯科医療・保健予防活動を企画・実践し、日本人は資材の提供と助言をする時期を迎えています。

また一方現地スタッフの来日研修は、これまで歯科医師、歯科看護婦、技工士、整備・保守技術者、歯ブラシ植毛技師を、1~3ヶ月の期間で延べ28人受け入れてきました。エネレルは、彼らを中心にモンゴル人自身の手で運営されています。もちろん今は、それを見守る多くの日本側支援・・・これまでモンゴルでの交流活動に参加してくださった延べ250人を越える方々、モンゴルへは行ったことがなくても研修生の受け入れ等で協力してくださっている方々、郵政省ボランテイア貯金、(株)モリタ、(株)松風、(株)ジーシー、川西市歯科医師会、瀬戸内総合学院、(株)和田精密技研、日生協、神戸医療生協等々たくさんの皆様の御協力・御声援にも支えられています。


昨年度の交流活動内容について;

交流の開始当初より、モンゴルの歯科医療と公衆衛生の向上を目的に、モンゴル人自身の手でモンゴル人の健康を守れるような活動を目指してきました。特にモンゴルの歯科界は

社会的評価も低く、医科と違い「科学アカデミー」にも加盟できていません。行政や教育、メデイア等の他職種からの知名度もかなり低く、当時名前を知られている歯科医師は医科大学歯学部長1人だけでした。旧社会主義の殻を破り、歯科の評価を高め、保健衛生の提言が受け入れられるようにすることも図ってきました。エネレル歯科診療所では、日本の歯科機材を用いた高度な歯科治療だけでなく、予防を柱とした診療システムの確立、孤児院、マンホールチルドレン施設・学校・障害者施設等での保健予防活動、巡回治療車による訪問治療、歯系学生の研修受け入れ、歯科大学での特別講義、卒後研修セミナーの開催、メデイアを用いた啓発・啓蒙、歯科疾患予防プロジェクトの主催等々を取り組んでいます。

現在の日本との交流活動内容と到達点を、昨年度の活動で紹介します。

「第4回モンゴルでの健康づくり活動」;ゲルに住み遊牧生活をしていたモンゴル人は苛酷な労働と極寒に対応する為塩分と脂肪を多く食べていましたが、近年都市での定住生活は車での移動や冬季の暖房等日常生活の変化に対し変わらぬ食生活による生活習慣病が深刻な問題となっています。健康チェック(血圧、ウロペーパーによる尿検査、体脂肪率測定)を首都と郡部の遊牧民に行い、健康相談にも応じます。

「第13回モンゴル歯科探検隊」;全国21県での予防プロジェクト(各県での歯科医療と公衆衛生の向上を目指して)、施設での歯科保健予防活動、障害者施設での訪問治療、セミナー・実習等の取り組みを行なっています。

「エネレル歯科看護婦サラさんの来日研修」;歯科衛生士としての研修(特に小児歯科の定期健診、母親教室等)を2ヶ月間行ないました。

「第13回冬のセミナー」;歯系学生セミナー、エネレル職員へのセミナー・実習・診療助言、障害者施設での保健予防活動を行ないました。


モンゴルとの医療交流の今後;

現在モンゴルは30歳以下の人口が68%と若い世代が大変多く、日本とは逆の人口構成です。しかし1990年の体制変換以降国民生活は急変しており、歯科疾患の急増をはじめとする国民の健康破壊はかつての日本を見るようです。私達は日本の経験(成功も失敗も含めて)を伝え、彼ら自身が自国の歴史・文化・慣習を考慮して選択・判断・実行し、自国に合わせた歯科医療と公衆衛生を発展させ、モンゴル国民の健康を守ることができるように自立してくれることを願っています。今後もできるだけ多くの人たちと一緒に、長く続けていける交流を目指していきたいと考えています。